ギャンブルに向かない

随分前、今の主人とパチンコ店に入ったことがありました。それは19歳の時です。自分の意志で「ギャンブル」をしたいと思ったこともなければ、パチンコ店に関心を持ったこともありません。今思うと、幼い頃、母が「パチンコ店に行く人は馬鹿な人」だと耳にたこができるほど言っていたことが、その理由なのだと思います。
当然、私は言葉通り受け止めて、「馬鹿な人にjなっては大変と、煌びやかなパチンコ店を目にしても目をそらす様になりました。ただ深く考えたこともなかったので、実際どういうところなのかさえも長く知りませんでした。

そんな私が主人と一緒に「馬鹿な人」が集まる場所に行ったわけは、主人というより友人と遊びにでかけたついでに寄った、という単純な理由でした。好奇心も旺盛だった当時の私は、一度くらいその現場状況を把握してみようとも思ったのです。
自分がやるために入ったのではない、という理由は正当なものでした。そして小銭を少し渡されてトライしたものの、やっぱりそれほどの魅力を感じませんでした。そのやり方自体も未だわかりません。
そんな風で、パチンコに限らずギャンブルに対する意識は母親のおかげか否か、とても低く「つまらない」という心をもって育ちました。
何より音はうるさいし、販売意欲をそそらせるためのものですから、流れる音楽はクラッシック系ではありません。読書好きで静かな場所が好きな私としては、何のメリットも感じない場所、それがギャンブルというものに対しての見方なのです。
そんな私ですから、子供が生まれても30代になった頃でも、駅前や大型施設内によくある「ゲームセンター」などにも足を踏み入れたことがありませんでした。そのせいか、子供達も30歳を過ぎた今でもそれほどギャンブルに関心をもちません。私が比較的躊躇なくゲームセンターに行けるようになったのは、50代に入った頃です。
その理由はただ一つ、「孫」という宝ものを得たからです。今はゲームセンターに、ちょっとした子供の遊び場が設けられていたり、太鼓などの健全(?)な遊び場もあります。なので、その利用として行くうちに、次第に簡単なゲームなども一緒にするようになりました。
そう!「一緒に楽しむ」ということで、私は初めてこのギャンブルを味わうことができたわけです。とはいえ、男性にはそれはあまりないのかもしれません。一人で黙々とコインゲームしていたり、どこか憂さ晴らし的なも感覚があるようにも感じます。
思い出せば、義祖父はよく「競艇」を利用していました。彼は頭の良さで戦中を生きた人、無料のシャトルバスに乗り、新聞を読んで自分なりに推理をし、結構儲けては帰宅していたことを思い出します。
男性目線で考えると、前進するための一つの手段という言い訳がたつのかもしれません。それに対して女性は意味を求めてしまい、無駄に使う時間やお金を勿体ないと考えます。
もとより、こんな風に理論で考えて何かを意味づけしたい、という思考の人には、ギャンブルは向いていないのかもしれません。